福島原発事故から11ヶ月今思うこと
2011年3月11日の東日本大震災、私の住む茨城にも大変な被害がありました。今も、道路の半分は仮補修の状態で至る所で路面が凸凹していますし、住宅の瓦屋根の修理は半分以上手付かずの状態です。このブログに東日本大震災によって起きた福島原発事故について書こうと思います。
私は、東海村原子力発電所隣接の那珂郡那珂町で生まれ育ちました。東海村原子力発電所1号機は1960年着工らしいので、同時代を生きてきたことになります。今まで身近にありながら原子炉についてほとんど知らずに来てしまいましたが、心のどこかで、原子炉があることに不安を感じていたのも事実です。子供の頃から原発は危ないと言う認識を持って育ちました。それが現実味を帯びてくるのが、私が40歳になる年、1999年9月30日の東海村JCO臨界事故です。自分の事務所から自宅に帰ると屋内待機の指示がニュースに流れていました。そのとき思ったのが、原子力と言う物は、本当に人間の力で制御出来きるのかと言うことでした。二つある原子炉の内、東海村原子力発電所1号機は廃炉の準備を進め、東海村原子力発電所2号機は今回の震災で緊急停止したままです。東海村に住んでいる住民は、周りの地域と比べて住民税などが安く、国からの補助金も村には入ってきているはずです。東海村役場は周りの市町村と比べて一番立派な庁舎です。それは危ない物を受け入れている見返りです。福島第一原子力発電所の事故は、起るべくして起きた事故で、古文書に記録がある西暦869年貞観大津波の調査研究がされていましたが、この事故に生かされることは有りませんでした。国は原子力政策を推し進め、日本国中の海岸線の近くにいくつもの原子力発電所を造って来ました。この事は他人事では有りません。政府の責任と言うより、日本人1人ひとりの責任です。全世界の人々に対する、いや全世界の生きとし生けるものに対する日本人1人ひとりの責任で有ると言う事です。日本人の気質として、「事なかれ主義」と言う考え方の悪い面が現れていると思います。まさにこの事が国の原子力政策に対する日本人の考えの根本に有ったと思うのです。今こそ日本人1人ひとりが責任を持って考えていく問題だと思います。
Posted: 金 - 2月 10, 2012 at 11:11 午前