感性について
人間は感性の生き物で、決して、理性の生き物ではない。日本では、あまりにも理性の教育が大切にされてしまい、感性の教育がおろそかにされてしまったのではないか。
辞書で理性、悟性、感性を調べてみると、大辞林
第二版
(三省堂)りせい
【理性】(1)感情におぼれずに、筋道を立てて物事を考え判断する能力。
「―をはたらかせる」「―を失う」
(2)〔哲〕〔英
reason; (ドイツ)
Vernunft〕(ア)感覚的能力に対して、概念的に思考する能力。
(イ)カントの用語。広義には、先天的能力の総称。このうち先天的認識能力を理論理性、先天的意志能力を実践理性と呼ぶ。また狭義には、感性・悟性から区別され、理念によって悟性認識を統一する能力をいう。
(ウ)ヘーゲルの用語。抽象的概念の能力である悟性と区別される、具体的概念の能力。弁証法的思考能力。
(エ)神の啓示に対して、人間の自然的知。
(オ)宇宙や世界を支配する原理(世界理性・絶対理性)。
ごせい
【悟性】〔(ドイツ)
Verstand; 英
understanding〕〔哲〕
(1)広義には、論理的な思考を行う能力・知力を指していう語。知性。
(2)カント・ヘーゲルでは、さらに理性とも区別される。
(ア)カントでは、理念の能力である理性と異なって、感性に受容された感覚内容に基づいて対象を構成する概念の能力、判断の能力をいう。
(イ)ヘーゲルでは、具体的普遍の認識に至る理性に対して、物を個別的・固定的にのみ見て統合しえない思考の能力、非弁証法的な反省的・抽象的認識能力をいう。かんせい
【感性】(1)〔哲〕〔英
sensibility; (ドイツ)
Sinnlichkeit〕(ア)認識の上では、外界の刺激に応じて、知覚・感覚を生ずる感覚器官の感受能力をいう。ここで得られたものが、悟性の素材となり認識が成立する。
(イ)実践的には、人間の身体的感覚に基づく自然な欲求をいう。理性より下位のものとされ、意志の力によって克服されるべきものとされることが多い。
(2)物事に感じる能力。感受性。感覚。
「豊かな―を育てる」西洋の哲学(カント・ヘーゲル)では、感性は、理性より下位のものとされきたのだが、決して、感性は、理性より下ではないと思うし、人間は感性の生き物だと思う。今の日本の教育があまりにも理性重視に立ってしまい、人の気持ちを理解するという感性を失ってしまっている。
Posted: 木 - 1月 25, 2007 at 12:52 午後